Art Space Seiko

       ”まん中に黄色”



西田有輝        

   

       先週からの続きーー2冊めは”ミロとの対話”です。 私は”アントニ タピエス”という画家が昔から好きでしたが、彼の画集をみて
       いるときに、彼がミロから影響を受けたと言っているところがありました。

       タピエスの絵は抽象表現主義の絵でミロとは全然趣がちがいます。 彼の絵は哲学的で重たくて、心にドオーンときます。 ミロのは軽
       やかで見る人を楽しく、気分を軽やかにさせてくれます。

       それでミロのどのようなところが、タピエスに影響を与えたのか興味を持っていたところ、渋谷で友達と待ち合わせをしていたのですが、
       ちょっと早めに待ち合わせ場所に来てしまったものですから、近くの本屋で時間をつぶすつもりで、美術書のコーナーに行きました。 
       そこで”ミロとの対話”と出会ったのです。 

       買い求めてから、いつものとおりベッドに入って少しづつ読み進めていきました。 私が一番驚き、感心したのは彼の仕事の仕方です。
       アトリエの写真がありましたが、アトリエの中は描きかけの絵で一杯で、その光景に圧倒されました。 描き、描く、描き続けている
       様子がよくわかりました。
 

買い求めてから、いつものとおりベッドに入って少しづつ読み進めていきました。 私が一番驚き、感心したのは彼の仕事の仕方です。 アトリエの写真がありましたが、アトリエの中は描きかけの絵で一杯で、その光景に圧倒されました。 描き、描く、描き続けている様子がよくわかりました。

彼は絵を描き続けて、自分の創造性を十二分に発揮できる境地に達した人であると思います。 絵を描くのを休むと、もとの調子に戻るのに其の三倍の時間がかかるとも言っているのです。 でも、ミロという人は謙虚な紳士なんです。 創造性に近づけば近づくほど謙虚になるとも言っているのです。

この本を読んでアーテイストの人生と、彼等の創造性に眼が行くようになりました。 



梅澤 和夫




無知は人を万能であると誤解させ、 知識は人に無知であることを知らせる

知れば知るほど人間とは宇宙においては、
なんでもない存在であることを知らされます。
しかし、私はそれを誇りに思います。
謙虚であることは誇りを持つこと、 誇りを持たず平低することは萎縮です。

禅の境地に似たものでしょうか

父が倒れ入院したので昨日まで 帰京していました。
病室での父は小さかったです。
子供の頃は大きく感じましたが、 昨日の父はすごく小さかったです。
父の寝顔を見てやすらかな顔だと 思いました。

夕日が美しいように消え行くものは、 ほのかなやさしい光を放ちます。

今の私にはまん中の黄色い色は 真昼の太陽のように眩しすぎます。

でも作品を拝見し元気がでます。



ひかり


朝日は美しい
生まれたての光は未来の希望
感傷とは無縁の世界

真昼の太陽は元気だ
幾百億の生命の息づかい
眩しすぎて見つめられない

夕日は穏やか
消え行く光はやさしく微笑む
人の最後のときのように

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